JSRT2015②放射線治療技術の向上と恒常性に対する教育の関わり
東京部会の講演、治療に関する名士である先生のお話をまとめてみたので、治療の概要について知りたい方は読んでみて欲しいです。
<放射線治療は応用科学>
治療は応用科学の一つである。(に過ぎない。)放射線治療の発展過程で二度と経験したくないことが起こってきた。技術の飛躍の瞬間にはそういうことが起こる。
ある意味で脚光を浴びてきている放射線治療に対して私達は何を知らなければいけないか?
1896年~放射線を何らかの治療効果があるとして乳癌と舌癌の治療に使われてきた。ドイツのグルッペとフランスのデスパーニュが治療と緩解(苦痛を和らげる為の治療)の為に、放射線を利用したケースが記録されている。
それから、ニュートンの運動方程式から相対性理論で飛躍的に科学が発展した奇跡の1905年において、放射線技術の基礎となる光電効果などの相対論が提唱された。
その量子論と放射線治療の文脈からVan de Graff型加速器が開発された。
<戦争の技術が放射線治療を発展させる>
放射線治療の元となる加速器の技術は、1939年~1945年のWWⅡにおけるレーダー要のクライストロンの開発がベースにある。悲しい戦争の出来事を世のため人の為に活用するため、医療の現場で人を助ける為の形に戦後応用されていった。マイクロ波による電子加速、マグネトロンの開発は、よりエネルギーの高い装置を開発するに至った。
そして、いつしかより重い粒子の加速、重粒子、陽子の加速へと発展し、今に至る。
昔のVan de Graffe型の装置はストレッチャーと対比させても明らかに大掛かりで、望遠鏡のようだった。それが、8MeV Liniac(Hamer Smith)など、年を追って今の原形に近いより小型のものが開発されていった。(Varian Elekta社など)患者さんの痛いという思いに対して、なんとかしてあげたいという医療者の気持ちからどれだけの年月が経ってきただろうか?
<日本が放射線治療を取り入れ、国内に普及するまで>
放射線治療機器の世界市場の規模は38億円?ドル?である。
日本では、1960年に島津がベータトロンを採用。輸入は1963年〜始まった。やや始まりは遅かった。1970~1980年代は回転診断撮影、CT画像が普及。(ペンシルビーム、ファンビームの頃?)治療分野では、原体照射、PC12:TPS 打ち抜き照射などの技術が開発された。
1980年代にPublication IEC60-2-1のJIS化によって、海外の品質管理モデルを参考にしながら、治療機器の品質管理が明確化される。プラザ合意など海外からの経済的障壁を取り払い、海外製品を受け入れる流れもあり、治療機器でもそういうことがあった。
1990年代には、CT三次元画像のon-line運用、三次元治療計画、CTシミュレータが使われ始める。
そして、2000年頃、大きな治療技術の飛躍的発展が起こる。
三次元のTPS-三次元治療計画
加速器のPC制御
MLC(マルチリーフコリメータ)の出現
固定具の改善
EPID
IMRT,VMAT,RapidArc
これらの技術を海外から受け入れる時、私達はどういう準備をしなければいけなかったのだろうか?
海外研修で新機能を理解し、メーカー研修で技術を修得し、国内現場で性能評価が出来るようになるまでに、マニュアルを日本人の文脈に合わせていくことが重要だった。
ここで治療の現場で起こったこと(あまり深くは紹介しなかった)は、新たな技術が普及する中で起こりうること。常に考えなくては行けない。
<各施設における実践>
日本では大規模な病院のみが放射線治療を行っている訳ではない。中小規模の病院も治療に携わっている数は多い。その症例は大病院:中小=1:1の割合であり、責任も50:50だ。
大病院の方が、新患数が多く、経験が積める。だからといって、安全性の担保を患者数の少ない中小ではやらなくていいことにはならない。
<治療に携わる技師の人材確保>
技師の数は1990年~2010年にかけて1.66倍になった。(23407人→38907人)このうち放射線治療に従事する技師は2割程度(7000人)である。新卒は毎年2000人輩出され、リタイアメントするひとがいることを考えると技師の実質増は600人。2000年を境に増加が鈍化している。
2014年の治療専門技師の割合は1105/7000人である。
今後の治療人材を養う為には
・放射線・放射能を扱わずに専門領域に携わるのは不可能だということ
・基礎的な知識の底上げが必要であること
・データ等の解析力の向上が必要であること
そして、医療、応用工学、応用科学、技術の理解が必要である。
<放射線治療での致命的なミスは治療技師の責任が曖昧であったことが原因?>
NYTimes 2010年1月 IMRTでの事故が発生。TPSの複雑なプログラムの設定ミスで、中枢神経系の壊死にまで至る重篤な事故が起こった。
2005年にも別件のIMRTの事故がアメリカで発生している。舌癌(舌根部)の治療でMLCを全解放していた。プログラム不良をPCが訴えていたが、物理士は続行を指示し、医療事故につながった。(wedge OUTをくさびフィルタの未挿入と捉えず、くさびフィルタがOUTへ移動していくと解釈していた?)
実は多くの放射線過誤は報告されていないのではないだろうか?
NYは医療物理士と腫瘍医は最も人口密度が高い都市。しかし、その都市でこうした事故が起こってしまうのは、治療計画の最後の番人、ゲートキーパーの役割を果たしていないからではないだろうか?(データ評価が治療技師の責任外になっていたとか。。)
日本でもAAPMレポート79のもとに、教育体制を作ろうということになっている。しかし、教育出来る人が足りない。そこで、5年かけて教育し、現場で学んでいく仕組みを作る。
<放射線治療は応用科学>
治療は応用科学の一つである。(に過ぎない。)放射線治療の発展過程で二度と経験したくないことが起こってきた。技術の飛躍の瞬間にはそういうことが起こる。
ある意味で脚光を浴びてきている放射線治療に対して私達は何を知らなければいけないか?
1896年~放射線を何らかの治療効果があるとして乳癌と舌癌の治療に使われてきた。ドイツのグルッペとフランスのデスパーニュが治療と緩解(苦痛を和らげる為の治療)の為に、放射線を利用したケースが記録されている。
それから、ニュートンの運動方程式から相対性理論で飛躍的に科学が発展した奇跡の1905年において、放射線技術の基礎となる光電効果などの相対論が提唱された。
その量子論と放射線治療の文脈からVan de Graff型加速器が開発された。
<戦争の技術が放射線治療を発展させる>
放射線治療の元となる加速器の技術は、1939年~1945年のWWⅡにおけるレーダー要のクライストロンの開発がベースにある。悲しい戦争の出来事を世のため人の為に活用するため、医療の現場で人を助ける為の形に戦後応用されていった。マイクロ波による電子加速、マグネトロンの開発は、よりエネルギーの高い装置を開発するに至った。
そして、いつしかより重い粒子の加速、重粒子、陽子の加速へと発展し、今に至る。
昔のVan de Graffe型の装置はストレッチャーと対比させても明らかに大掛かりで、望遠鏡のようだった。それが、8MeV Liniac(Hamer Smith)など、年を追って今の原形に近いより小型のものが開発されていった。(Varian Elekta社など)患者さんの痛いという思いに対して、なんとかしてあげたいという医療者の気持ちからどれだけの年月が経ってきただろうか?
<日本が放射線治療を取り入れ、国内に普及するまで>
放射線治療機器の世界市場の規模は38億円?ドル?である。
日本では、1960年に島津がベータトロンを採用。輸入は1963年〜始まった。やや始まりは遅かった。1970~1980年代は回転診断撮影、CT画像が普及。(ペンシルビーム、ファンビームの頃?)治療分野では、原体照射、PC12:TPS 打ち抜き照射などの技術が開発された。
1980年代にPublication IEC60-2-1のJIS化によって、海外の品質管理モデルを参考にしながら、治療機器の品質管理が明確化される。プラザ合意など海外からの経済的障壁を取り払い、海外製品を受け入れる流れもあり、治療機器でもそういうことがあった。
1990年代には、CT三次元画像のon-line運用、三次元治療計画、CTシミュレータが使われ始める。
そして、2000年頃、大きな治療技術の飛躍的発展が起こる。
三次元のTPS-三次元治療計画
加速器のPC制御
MLC(マルチリーフコリメータ)の出現
固定具の改善
EPID
IMRT,VMAT,RapidArc
これらの技術を海外から受け入れる時、私達はどういう準備をしなければいけなかったのだろうか?
海外研修で新機能を理解し、メーカー研修で技術を修得し、国内現場で性能評価が出来るようになるまでに、マニュアルを日本人の文脈に合わせていくことが重要だった。
ここで治療の現場で起こったこと(あまり深くは紹介しなかった)は、新たな技術が普及する中で起こりうること。常に考えなくては行けない。
<各施設における実践>
日本では大規模な病院のみが放射線治療を行っている訳ではない。中小規模の病院も治療に携わっている数は多い。その症例は大病院:中小=1:1の割合であり、責任も50:50だ。
大病院の方が、新患数が多く、経験が積める。だからといって、安全性の担保を患者数の少ない中小ではやらなくていいことにはならない。
<治療に携わる技師の人材確保>
技師の数は1990年~2010年にかけて1.66倍になった。(23407人→38907人)このうち放射線治療に従事する技師は2割程度(7000人)である。新卒は毎年2000人輩出され、リタイアメントするひとがいることを考えると技師の実質増は600人。2000年を境に増加が鈍化している。
2014年の治療専門技師の割合は1105/7000人である。
今後の治療人材を養う為には
・放射線・放射能を扱わずに専門領域に携わるのは不可能だということ
・基礎的な知識の底上げが必要であること
・データ等の解析力の向上が必要であること
そして、医療、応用工学、応用科学、技術の理解が必要である。
<放射線治療での致命的なミスは治療技師の責任が曖昧であったことが原因?>
NYTimes 2010年1月 IMRTでの事故が発生。TPSの複雑なプログラムの設定ミスで、中枢神経系の壊死にまで至る重篤な事故が起こった。
2005年にも別件のIMRTの事故がアメリカで発生している。舌癌(舌根部)の治療でMLCを全解放していた。プログラム不良をPCが訴えていたが、物理士は続行を指示し、医療事故につながった。(wedge OUTをくさびフィルタの未挿入と捉えず、くさびフィルタがOUTへ移動していくと解釈していた?)
実は多くの放射線過誤は報告されていないのではないだろうか?
NYは医療物理士と腫瘍医は最も人口密度が高い都市。しかし、その都市でこうした事故が起こってしまうのは、治療計画の最後の番人、ゲートキーパーの役割を果たしていないからではないだろうか?(データ評価が治療技師の責任外になっていたとか。。)
日本でもAAPMレポート79のもとに、教育体制を作ろうということになっている。しかし、教育出来る人が足りない。そこで、5年かけて教育し、現場で学んでいく仕組みを作る。
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